松本市:民蘇堂 野中眼科
TEL.(0263)32-3404
安曇野市:民蘇堂 あかしな野中眼科
TEL.(0263)62-2929
理念と基本方針
二百三十余年の歴史と
変わらぬ医療への精神で
地域の皆様の目の健康に
貢献してまいります。
天明5年(1785年)、初代・野中李杏が、菅村(現在の長野県木曽郡木祖村大字菅)に民蘇堂野中医院を開業してから現在まで、7代、230余年の歴史があります。「民蘇堂」とは、岐蘇(木曾)の民(たみ)のための医院という意味で、初代・李杏により名付けられました。
野中眼科において、この「民のための医療」という精神は、二百有余年後の今日まで受け継がれております。
民蘇堂野中眼科は
野中眼科/松本市巾上
(JR松本駅 アルプス口より徒歩3分)
院長 野中茂久
あかしな野中眼科/安曇野市明科
(JR篠ノ井線 明科駅前)
院長 野中隆久
の両院にて診療を行っております。 両院ともに駅に近く交通の便もよく、駐車場も完備しております。 診療を希望される方は、お気軽にもよりの医院にご来院ください。
診療担当医師
医療法人 民蘇堂 野中眼科 院長
野中 茂久(のなか しげひさ)
「民蘇堂」=「民のための医院(医療)」という精神のもと
健やかな目の健康のための医療を行っております。
私が考える医療の一番大切なことは、患者さんが自分の病気について理解し、どのように治療していくかを説明し治療することだと考えています。
患者さんの病気を正確に判断するため、また、わかりやすく説明するため当院では最新医療検査機器を導入し、そして治療に関しても最新治療機器を設置しています。
当院では的確な診断と適切な治療を心がけています。当院ではどうしても治療困難な患者さんは可及的速やかに大学病院等に紹介しています。
患者さんが安心して受診、治療していただけるよう医師、職員全員が一生懸命お手伝いいたします。
プロフィール
略歴 |
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役職歴 |
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専門医 | 日本眼科学会専門医 | |||||||||||||||||||||||||||
所属学会 |
日本眼科学会 日本眼炎症学会 |
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医師会 |
日本医師会
長野県医師会 松本市医師会(理事)
日本眼科医会
長野県眼科医会 |
医療法人 民蘇堂 あかしな野中眼科 院長
野中 隆久(のなか たかひさ)
平成8年に眼科無医地区であった明科・筑北地域に眼科医療機関をという地元の方々のご要望を受け、松本市の野中眼科の分院として、あかしな野中眼科を開設いたしました。
この明科の地においても、「民のための医療」という代々の教えを守り、地域の眼科医療に貢献し続けていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。
また、明科地区の往診も積極的に行っておりますので、通院に不安があるようでしたら、遠慮なくご相談ください。
現在私は、あかしな野中眼科の院長のほか、松本市の野中眼科で手術を担当しております。また、長野県眼科医会第8代会長として県民の目の健康を守るための活動を、そして、公益社団法人日本眼科医会の副会長として国民の目の健康を守るために活動をしております。
専門は緑内障ですが、白内障手術、コンタクトレンズ診療等、眼科一般を幅広くしっかりと対応させていただきます。
プロフィール
略歴 |
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専門医 | 日本眼科学会専門医 | ||||||||||||||||||||||||||||||
所属学会 |
日本眼科学会
日本緑内障学会 日本コンタクトレンズ学会
日本白内障屈折矯正手術学会
日本糖尿病眼学会 |
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医師会 |
日本医師会
長野県医師会 安曇野市医師会
日本眼科医会(副会長)
長野県眼科医会(会長) |
医療法人 民蘇堂 野中眼科 副院長
野中 利衣(のなか りえ)
患者様の気持ちを理解し、
きめ細かな診療と適切な治療を心がけています。
開業医としての勤めの一番大切な事は、きめ細かな診療と適切な治療、そして大学病院や他の診療科目との連携だと思っております。なるべく多くの時間を説明に費やし、診断や治療を理解していただき、ともに治して行くという姿勢でありたいと考えております。
他の科への受診と違い、コンタクトレンズやメガネ矯正といった疾患とは違う分野であっても、やはり使われる方の理解はとても大切だと感じております。
受診される方の不安を理解し、適切な診断と治療をもって患者さんを支えていく様努めて参りたいと思っております。
プロフィール
略歴 |
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専門医 | 日本眼科学会専門医 | |||||||||||||||
所属学会 | 日本眼科学会 | |||||||||||||||
医師会 |
日本医師会
長野県医師会 松本市医師会
日本眼科医会
長野県眼科医会 |
野中眼科の歴史
1785年 | 初代・李杏が、長野県菅村に民蘇堂野中医院を開業。 |
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1829年 | 2代目・杏庵が、医院を継承。 |
1833年 | 杏庵、長野県薮原に木曾谷唯一の医学校「民蘇堂塾(後の福島医学校)」を開校。 |
1867年 | 3代目・杏春、医院を継承。 |
1897年 | 4代目・隆太郎、医院を継承。 |
1926年 | 患者の交通の便を考え、奥原医院と共同で、バス会社「菅自動車商会(後に、おんたけ交通に統合)」を開業。 |
1930年 | 5代目・茂秉、医院を継承。 |
1942年 | 長野県塩尻に、「野中眼科塩尻分院」を開設。 |
1948年 | 長野県木祖村菅での診療をやめ、長野県諏訪で野中眼科医院を開業。 |
1948年 | 茂秉、長野県眼科医会を結成。初代会長に就任。 |
1959年 | 長野県松本市に「野中眼科医院」を移転開業。 |
1977年 | 6代目・杏一郎、医院を継承。 |
1993年 | 「民蘇堂 野中眼科」として医療法人化。 |
1996年 | 長野県東筑摩郡明科町(現在の安曇野市明科)に、分院「あかしな野中眼科」を開院。
次男・隆久、分院長に就任。 |
1998年 | 杏一郎、第5代長野県眼科医会会長に就任。 |
2000年 | 現在の診療所に新築移転。 |
2006年 | 7代目・茂久(長男・現院長)医院を継承。 |
2010年 | 次男 隆久、第8代長野県眼科医会会長に就任。 |
2019年 | あかしな野中眼科 新築移転 |